今戸神社

台東区 今戸神社

東京都 台東区

【今戸神社と御朱印】招き猫発祥の地で縁結びのご利益が有名な神社

2019年1月16日

今戸神社(いまどじんじゃ)とは

今戸神社入り口

ココがポイント

御祭神


應神天皇(おうじんてんのう)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
福禄寿(ふくろくじゅ)・・・七福神の内の一神
昭和十二年一月から同年十六年頃まで七福神巡拝が行われておりましたが、戦時下となり一時中止され、昭和五十二年一月より復活されました。

浅草は江戸文化発祥の地といわれ、七福神巡りの流行したのはその江戸時代からと伝えられております。

福禄寿は白髪童顔の温和な容姿で、年齢は数千年といわれ、福(幸福)と禄(生活・経済の安定)と寿(健康にして長命)との三つの福徳を授ける福の神として、古くから人びとの尊信を集めています。

ご利益


縁結び・家内安全・息災延命

御朱印


あり

御由緒


後冷泉天皇康平六年(一〇六三年)、京都の石清水八幡を勧請し、今戸八幡を創建。昭和十二年七月に、白山神社を合祀、今戸神社と改称。應神天皇の御神徳は武運長久と慈愛をこめて子を育てる大愛を本願としております。

後冷泉天皇康平六年(一〇六三年)、時の奥羽鎮守府将軍伊豫守源頼義・義家父子が、勅令によって奥州の夷賊安部貞任・宗任の討伐の折、篤く祈願し、鎌倉の鶴ヶ岡と浅草今之津(現在の今戸)とに京都の石清水八幡を勧請したのが今戸八幡(現在の今戸神社)の創建になります。

その後、白河天皇永保元(一〇八一年)、謀反をおこした清原武衡・家衡討伐のため、源義家が今之津を通過するあたり戦勝を祈願しました。その甲斐あって勝ち、いくさをおさめることができ、義家は神徳に報いて社殿を修復しました。
戦乱兵火に遭うごとに再建されること、しばしばでした。

江戸時代、三大将軍徳川家光は、今戸八幡の再建ののために官材を下され、舟越伊豫守と八木但馬守に命じて、寛永十三年(一六三六年)に再建が成りました。

大正十二年九月の関東大震災によって社殿はまたも灰燼に帰し、間もなく復興したものの、つぎは昭和二十年三月の東京大空襲でも重ねて被災の憂き目に遭ってしまいました。

こうした、被災=再建の歴史をくりかえしながら、同四十六年十一月、現在の荘厳な社殿が、氏子崇敬者の浄財によって造営されたのです。その間、昭和十二年七月に今戸の隣地に鎮座されていた白山神社と合祀、社名が今戸神社と改称されました。

御祭神は應神天皇、伊弉諾尊、伊弉冉尊、そして七福神のうちの福禄寿です。

應神天皇とその母神功皇后は、大陸文化を輸入して日本の文化興隆を図られたことは周知のとおりで、両神の関係は母子の情愛の信仰が古代の日本にもあったことの證左です。ですから、八幡さまの信仰は、一般には武運長久の霊験と思われていますが、一方で、母が子を抱きかかえ、慈愛をこめて子を育てる大愛を本願としているのです。

伊弉諾・伊弉冉の二柱の神は、天神の命を受けて、日本の国土を創成し、諸神を産み、山海や草木を生したといわれる男女の神で、古くから産霊の神として仰がれています。”古事記”や”日本書紀”を見るまでもなく、縁を結び、生産の基盤を固める神として崇められてきました。

※今戸神社 御由緒より





今戸神社の境内

今戸神社の鳥居
こちらが今戸神社の鳥居。「縁結び」「沖田総士終焉の地」とあります。

沖田総士と言えば、幕末の武士で新選組一番隊組長として有名ですが、この今戸神社が終焉の地とは知りませんでした。もともと詳しくないので、これを機に知っていこうと思います!

今戸神社の狛犬
鳥居をくぐると狛犬がありますが、金網で覆われているのでちょっと見にくいです...。横にいる小さな招き猫が可愛らしい。

今戸神社の手水舎
今戸神社の手水舎。周りに絵馬が沢山掛けられていました。

今戸神社
こちらが今戸神社の拝殿。「招き猫発祥の地」として招き猫が数多く置かれています。ちなみに、この招き猫も今戸焼きみたいです。

今戸神社の白猫
拝殿前の階段に気持ちよさそうに昼寝をしている白猫!可愛いのでみんな写真を撮ってました笑

今戸神社の招き猫
階段には招き猫の置物と像が。

今戸神社の御由緒
こちらは今戸神社の御由緒。この右奥に社務所があり、御朱印などがいただけます。

今戸神社 今戸焼き発祥の地
今戸神社は招き猫発祥の地以外にも「今戸焼き発祥の地」ともあります。

今戸焼き


今戸焼きとは現在の台東区今戸の地で焼かれてきた日用品の土器類・土人形類のことで、かつては江戸を代表する焼き物として繁栄していた。地元の今戸神社にある狛犬台座には宝暦2年(1752)に奉納した42名の陶工らの名が刻まれており、数多くの軒を並べていたことが伺える。

今戸焼きの起源は定かではないが、伝承では天正年間(1573〜91)に千葉氏の家臣が今戸辺りで焼き物を始めたとか、徳川家康入府後三河の陶工が今戸に移って来たともいわれる。「今戸焼」の名としては18世紀末頃から明らかに見られ、18世紀前半頃に本格的な土器生産が始まったと思われる。

隅田川沿岸はかつて瓦を含めた土器製品の生産が盛んであったようで、瓦町の名や瓦焼が早くから知られていた。江戸時代の文献である「江戸名所図会」には瓦作りの挿絵がみられ、「隅田川長流図巻」(大英博物館所蔵)には今戸焼の窯が描かれている。

近年の江戸遺跡の調査によって施釉土器、土人形や瓦等が多く出土し、そのなかには今戸焼職人の名が刻印されている土器・土人形、今戸の地名を印した瓦も見られ、隅田川沿岸の窯業との関連が注目されている。

関東大震災や東京大空襲により職人が次々に区外へ移り、現在今戸には一軒のみが残り、伝統を伝える「口入れ狐」や「招き猫」などの人形が今でも制作されている。

今戸で作った素焼きの土器。天正年間(1573〜1592)に始まるといわれ、茶道具・瓦・火鉢などが造られた。
※今戸焼より

浅草名所七福神の一つ「福禄寿」

浅草名所七福神巡り色紙
今戸神社は浅草名所七福神の一つで福禄寿が祀られています。色紙や福絵を持って名所を巡るのも楽しみの一つです!※近々完成させます!

今戸神社の御朱印

今戸神社の御朱印

墨書:奉拝・今戸神社
印:今戸神社・招き猫発祥の地・平成三十年・今戸神社

今戸神社の御朱印 福禄寿
墨書:奉拝・福禄寿
印:浅草名所七福神・福禄寿・平成三十年・今戸神社

今戸神社まとめ

今戸神社は縁結びの神社で有名ですが、実際に参拝してみると縁結び以外にも「沖田総士の終焉の地」「今戸焼き発祥の地」「浅草名所七福神」など、文化や歴史を知ることができます。

浅草駅から少し歩きますが、近くには隅田川もあるので散歩しながらや、浅草名所七福神巡りで訪れてみてはいかがですか。

今戸神社の詳細

創建年 1063年
御祭神 應神天皇(おうじんてんのう)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)・福禄寿(ふくろくじゅ)
主な祭事 例祭日:6月第1土・日曜日
御利益 縁結び・家内安全・息災延命

住所:111-0024 東京都台東区今戸1-5-22

交通:
最寄駅
・銀座線浅草駅より 徒歩15分

TEL:03-3872-2703

参拝時間:自由
社務所受付:9時〜17時

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